北陸の縄文文化を訪ねて 野崎順子
2015年06月23日
バスが金沢市街から離れ、車窓に海が広がると歓声があがった。普段、山に囲まれて生活していると、青くどこまでも水平な海の風景は格別である。
縄文阿久友の会の今年の研修旅行は、海の縄文文化を訪ねる旅である。前日の雨があがり、さわやかな初夏の緑の中、安房トンネルを抜けて一路北陸へ向かう。
最初の目的地はチカモリ遺跡である。屋外に建てられた復元環状木柱列は、初めて目にするもので小さな驚きの声があがる。館内に入ると真水の中に保存された大量の木柱根。地下水が有機質の腐朽を食い止めて木が残っていると事前学習で聞いていたが、実際に見る縄文時代の木は圧巻である。木柱根に丸く残された溝は、ひもをかけ、力を合わせてこの巨木を引いたあとと聞き、ムラをあげて共働で木を引く縄文人たちの姿が、この旅行のサブタイトルでもある「おんばしら」祭のご曳行の姿と重なった。
能登半島を北東へ進み、次は真脇遺跡を訪ねる。遺跡公園の中にあるホテルで荷を解いて、園内にある本日2つめの復元環状木柱列を見に行く。小さな入り江を望む広い丘陵地に建てられ、夕陽が柱に長い陰影をつくっている。今度は御柱でなくイギリスのストーンヘンジが思い浮かぶ。環状木柱列の真ん中に立ち青空を仰ぐと、その空間だけがタイムスリップして4000年前の縄文びとの息づかいが聞こえてくるようだった。
翌日は縄文館の展示品を、解説を聞きながら見学。ここも驚きの連続だった。イルカ層と呼ばれる土層に埋まったイルカをはじめとする魚類の骨、骨、骨。イルカがやってくる時期は藤の花の咲く頃だそう。遠い昔、その時期になると、毎日目を懲らしてあの入り江のかなたを眺め、イルカの回遊をチェックしていた見張り役もいたのだろうと想像した。
北陸の土器はどれも粘土の白色が強く、中部高地の赤褐色の土器を見慣れた目には、海を感じさせる色目である。そして「お魚さん土器」は、そのかわいい愛称とは裏腹な精巧な作りに目を奪われた。口を開けた4匹の魚たち、日々の豊穣を祈りと共にデフォルメした匠の技は4000年の時を超えて現代人をも魅了してやまない。館には海の幸に感謝して暮らした真脇縄文人の姿がぎっしりとつまっていた。
真脇遺跡の発掘度はまだ全体の4%と聞く。残りの96%が明らかになったとき、さらなる発見と驚きが待っているだろうとワクワクしながら、遺跡をあとにした。
旅の最後は桜町遺跡である。他例に違わずこの遺跡からも木製品がかなり出土していて、公園には高床式建物が復元されていた。その存在の証拠があると聞いた小矢部ふるさと歴史館で、実際に貫通した穴を持つ木材を見る。高床式建物は弥生時代の倉庫のイメージがあったが、桜町の縄文人は地下水の湿気を防ぐひとつの手段としてこの高床式の建物をつくったのだろうか。その知恵と工夫が生み出した技術の高さは脱帽ものである。
館内にはなんと4000年前のコゴミも展示されていた。粘土層に守られてかなり新鮮な状態で発見されたと聞く。長い冬を越して、春の芽吹きに湧きたつ活力を感じながらコゴミを採集し、どんな料理でこの山菜を楽しんだのだろう。
2日間で訪ねた3つの遺跡。その地の自然の恵みに感謝し、創意工夫して生きる縄文人たちの姿は、中部高地も北陸も変わらなく素晴らしいと改めて思った。はるか昔の縄文人の生活を想像し、その日々の思いに今の気持ちを重ね合わせたとき、4000年の時が一気に縮まったように感じられた。
最後に。
新しい発見と驚きが続いた今回の研修旅行でした。
往路車中で聞いた野麦峠女工(非?)哀史から始まり、真脇温泉、海の幸豊かなお食事と北陸のお酒、そして会員の方たちとお話できたことなど縄文以外にいろいろなお楽しみが満載で、ご担当いただいた皆さまには、とてもお世話になりました。
ありがとうございました。